2011年7月22日金曜日

鶯セヴーチ作品展

見に行った日:2011.7.22


会期:2011.7.7〜7.26
会場:20202(代々木八幡)
詳細:http://www.shinrin20202.jp/


鶯セヴーチ嬢は、2010年12月10日からiPhoneのお絵描きソフトで画を描くようになったそうだ。画を描いてはtwitpicにアップし続けていて(現在も)、描きためた画と撮りためた写真を、初めて展覧会の形で発表したのが今回の展覧会。多作なアーティストらしく、会場の壁は、彼女の作品である画と写真で埋め尽くされている(トイレの壁さえも)。その量も圧巻ではあったし、改めて紙に出力して並べてみた時に見えてくるものもあったとは思う。

しかし、それらの画よりも、私の目を奪い、惹き付けて離さなかったのは、写真作品の方だった。これらの写真も、iPhoneのカメラで撮ったのだと以前彼女は話していたが、被写体はほぼ2種類。1つは、平間貴大氏を撮ったもの。もう1つは、食べ物を至近距離で撮影したもの。そしてこの2種類の写真が、交互に並べられている。平間氏を被写体とした写真は、寝顔まで含めたごく自然な表情の、普段の平間氏の姿が伺えるスナップショット。それだけ見れば、撮影者が被写体のプライベート領域にかなり深く入り込んでいるとは思うけれども、普段の姿を良く捉えているね、と微笑ましく眺めていられるスナップ写真だ。ところが、それらのスナップ写真の間に置かれた、食べ物の写真は、「何の写真だろう?」と思ってしまうくらいの至近距離で撮影されていて、そのせいなのか、他にも何か工夫しているのかもしれないが、妙に生々しく、艶かしく、エロティックだ。そんな食べ物の写真と交互に並べられた時、平間氏を撮った写真は、被写体と撮影者の距離の無さを露呈し始める。食べ物を至近距離で撮影したように、平間氏のプライベートへの至近距離に撮影者はその立ち位置を置いている/置くことができることを、それらの写真が語り始める。そのことによって、ごく日常のスナップショットだったはずの写真が、妙なエロスを持って立ち現れてくるのだ。まるで、日常のスナップを撮影する時には意識下にあったはずの想いを露呈するように。

これは予め計算された/狙った表現だったのか? …いや、そんなことはどちらでもいい。

「食べることは、口を通して世界と接触する快楽である」と、これほどストレートに、かつ、雄弁に語る写真に、これまで出会ったことがあっただろうか。そして、ごく普通の日常生活のスナップショットに秘められたその意識下の想いを意識化させ、それを観る者に、見てはいけないものを見てしまったような気分を抱かせる、そんな恐ろしい力を持った写真を、かつて見たことがあっただろうか。

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