2013年8月28日水曜日

あいちトリエンナーレ2013 [第3日目:名古屋]

見に行った日:2013.8.28


会期:2013.8.10-10.27
会場:白川公園エリア、長者町エリア


▼朝いちばん早く開く会場—名古屋市美術館—へ

とうとう3日目。この日の夕方には戻る予定だ。
前日名古屋泊だったため、朝から名古屋にいる。早めにチェックアウトして、朝いちばん早く開く、名古屋市美術館へ向かう。長者町エリアのど真ん中の宿からは、ほぼまっすぐで白川公園に到着。この公園には名古屋市科学館があるのだが、科学館はたくさんの子どもたち(と同伴の親たち)が長い、長い入場の列を作っていた。

その列を横目に、名古屋市美術館ヘ行くと、誰も並んでない(笑)。
館の前には、横山裕一の絵がペイントされた車がなぜか止まっていたが、そこにも誰もいない。トリエンナーレの入口は普段の入口とは違う裏側にあるらしい。入口まで移動したけど、やっぱり誰もいない。ちょっと到着が早かったようだ。
他に行くところもないので、外側から写真を撮って、しばらくベンチで待っていた。係員が5分前頃に現れ始め、看板類が置かれ、開館時間の9:30になると、入口を塞ぐように掛かっていたロープが外された。すると、あちこちから入口に向かってくる人々が現れた! みんなどこに隠れてたんだろ?

早速入ろうとするが入口横にテントがある。「予約」という声が聞こえたので行ってみると、藤森照信の泥舟の作品に入るための予約を受け付けている、とのこと。迷わず、予約。いちばん早いと、10:00だという。が、もう9:30は過ぎていて、美術館の中を観ていると、間に合うように出て来れないかも、と思い、10:30にした。

そして、美術館の中へ。入口を覆う家型の建造物は青木淳の作品だ。
入ってすぐに現れるのは、チョークのつまった箱。両翼の展示室の壁には黒板がかかっている。黒板は、誰にとっても「学校」を感じさせる物だと思うが、暗い、大きな展示室の中にあって、ぼんやりとしか見えない黒板は、曖昧な記憶で、思い出せない思い出のようで、何だか切ない気持ちにさせられる。

その奥は、イ・ブルの作品。天井から吊るされている繊細な彫刻が、床の鏡に映り込む。彼女の作品ではおなじみの展示方法だ。

展示は2Fへ続くとあり、白い壁の白い階段を2フロア分くらい上る。上り切ると初めて展示室が現れる。大きな展示室が、さまざまな色の透ける布で仕切られている。
展示室全体という大きな空間を感じつつ、区切られた展示空間に意識を向けることもできる。柔らかな仕切りは、自由な行き来を許し、空間を圧迫せず、心地よい空間を作り出す。展示室の空間を、こんなふうに空間だけ楽しむのは、初めてかもしれない。ふわふわと展示室を回り、1周すると出口の案内。係員が開けてくれるが、扉の外は、美術館の外階段。あらら、外に追い出されちゃったよ。展示はこれだけ?


まだ10時にもなっていない。そういえば、美術館の表側の庭に、青木野枝の作品があったっけ。と思い観に行ってみると、開館前は閉まっていた扉が開いて、庭に降りられるようになっていた。植栽の間に丸い形をした鉄板が、かくれんぼするかのように散在する、なかなか可愛らしい作品だ。


庭を降りた先には、館内にもトリエンナーレ作品がある、との表示。入ってみると、あちこちの会場で見かけた、ブーンスィ・タントロシンの、ダッチワイフ人形のアニメーション作品があった。そして結局、普段の美術館の出入り口から出た。

ようやく10時。まだ30分ある。若宮大通公園に作品があるはずだが、美術館から近いのかな?と思い、その方向を見ると、それらしきものが。古い船のような物が見える。きっとあれだ。地図で見ると離れているように見えるが、この感じなら行って帰って来れるだろう。と思い、行ってみた。道路を渡ればすぐで、予想以上に近かった。

受付で、iPadとヘッドフォンを渡されるが、それらの貸出しを受けるにあたり申込書を書き、身分証明書を提示する必要がある。たまたま免許証を持っていたけれど、持ち歩いていない人もいそうだ。貸し出されたiPadには、目の前にある船に関するストーリーが映像と語りで展開する。最初はただの古ぼけた船だったものが、映像を見ることで命を吹き込まれたように見えてくる。ブラスト・セオリーの作品。芸文センターで、「何も起きそうで起きない」映画を発表していたあの人か。ちょっと意外な気も。だけど、「映像の力」というのをよくわかっている人だ、と思えば納得だ。

後半は、ちょっと時間が気になり、気が散ってしまったが、何とか全編見ることができて、機器を返却。慌てて美術館の方ヘ戻ると、泥舟の集合時間ピッタリ。


この回、女性ばかりで6人。「ひとりずつ梯子で昇っていただきます」ということで、順番に昇る。これがなかなか揺れるし、昇ってみると結構高いところにあって、ちょっと怖いが、何とか昇れた。中に入ると、何だかまったりしてしまう。女性ばかりだったからか、狭い空間での一体感のせいか、知らない者同士なのにすぐ打ち解けて、しばし、見てきたものなどについて話し込む。他の展示ではあまり経験しなかったことだ。あっという間に時間が来て、ひとりずつ順番に降りた。この後も、ここで会った人とは街中で何度もすれ違い、その度にちょっと会話したりして、おもしろい体験だった。

まだまだ午前中。これなら長者町エリアも回れそうだ。早速歩いて北上する。


▼伏見駅地下街:異界の入口は青色か



伏見駅の入口が青色になり、ドローイングが描かれていたのは前日も目にしていたが、地下に降りてみた。
時が止まったような地下街があって、壁にも青色を地色にした絵が数点。ビューポイントから見ると立体的に見える。だまし絵の手法だが、素直に楽しめる。

一部屋丸ごと青い空間にしたものや、閉鎖された階段を青い空間にしたものなど、いろんなバリエーションがあったし、思いのほか作品点数もあり、楽しめた。誰もが楽しめそうなこれらの作品は、打開連合設計事務所の作品。



▼長者町エリア:作品スポットを訪ねつつ街歩き

さて、いよいよ長者町エリアだ。伏見駅近街を堪能していたら、長者町エリアの東端に来てしまったので、長者町通りを北上しながら見て、長島町通りを南下して一周することにした。このエリアは、1カ所1点、という感じ。地図で見るよりも実際歩いてみると近い。

シモジマ名古屋店で、丹羽良徳の映像作品。買ったものをもう一度買う、という作品が、店内に流れている。入れ子が入れ子になって妙な感じだ。

名鉄協商パーキングでは、ウィット・ピムカンチャナポンの空中を移動するガジェットと、前回のトリエンナーレの作品である、大山エンリコイサムのグラフィティとが競演。どちらもゲリラ感に満ちていて、よく似合っていた。

ARTISANビルは、水野里奈。ここは会期中に展示が入れ替わる。「現代美術展企画コンペ」という企画の中の展示である。好きなものを集めてみた、って感じのコラージュ。選ぶセンスが日本人っぽくないな、と何だか思った。

吉田商事1Fの横山裕一作品を眺め、八木兵6号館のシュカルトへ。やりたいことはわからないでもないが、ちょっとごちゃごちゃした感じだったかなぁ。

中部電力本町開閉所跡地では、Nadegata Instant Partyの展示。映画を作るワークショップは終わってしまっていてその報告が展示されている。参加した人たちがとても楽しんだことがよく伝わってきた。でも、その楽しい場にいられなかった残念感というか疎外感もちょっと感じたりなんかして。

八木兵8号館ビルは、丸ごと展示会場。
2Fは山下拓也の、なまはげ+アジアかアフリカの仮面、という感じの人形が並ぶ。

 3Fには、お金(本物ではなさそう)を配るパフォーマンスをもとに構成された、ケーシー・ウォンのインスタレーション。

そしてもうひとつ奥の部屋には、軍事用の監視施設を思わせる設えがなされていた。そのモニターに写っているのは、尖閣島の美しい自然の姿。こういう作品を香港の人が作ったということに、なんともいえない感じになった。こういう視線ってとても大切だと思うのだ。こういう人がいてくれてよかった。

4Fは菅沼朋香の昭和の香り満載の喫茶店インスタレーション。ほんとに喫茶店にしちゃえばよかったのに。
そして1Fが、奈良美智らが作った「ウィ・ロウズ」。ここで昼食にする。名古屋市美の泥舟で一緒だった人に会う。「奈良さんのファンで、ここが見たかった」という彼女と話しながらカレーを食べた。

丹羽幸ミクス館のショウウインドウでは、AMRのメンバーが作業中だった。ガラスに絵が描かれているのだが、それもよく見えないし、中で何をしてるのかもよくわからない...。

MURASOU 1Fでは、マーロン・グリフィスのパフォーマンス映像とそのとき身につけていた衣裳やお面の展示。展示の仕方をもっと工夫したら楽しくなるだろうに。物置に雑然と放置された感じで、係員も何だか暇そうというか、つまんなそうだった。

旧玉屋ビルの壁面のグラフィティは、よくできていてレベルが高い。画力もあるしセンスも良くて楽しいめる。周囲にビルが建たないことを願ってしまう。街起こしでやってるのに、そりゃないだろうと言われるのは承知の上で。

八百吉ビルの壁面、豊島ビルの壁面には横山裕一の作品。これは見やすいしわかりやすいし、街がマンガの舞台になったようで楽しい。

アートラボあいち、地下の西岳拡貴の作品は、生糸を黒く染めたようなものが丸められて、床に置かれていた。それを、その上に渡された橋の上から眺める。この場所が繊維街ということで糸を使ったのだろう。

そして、長者町エリアのフィニッシュは、喫茶クラウンで、新見泰史作品を眺めながら、アイスコーヒー。

これで、ほぼ全ての会場を回ったはず。見落としたもの、観損ねたものはいくつかあるにせよ、これだけ観れれば満足だ。

この時点でまだ15:00頃だったかと。帰りのバスは17:30名古屋駅発。余裕、というか時間余っちゃった。


最後までお付き合いくださりありがとうございました。
<完>

2013年8月27日火曜日

あいちトリエンナーレ2013 [第2日目:名古屋]


見に行った日:2013.8.27

会期:2013.8.10-10.27
会場:栄エリア(愛知芸術文化センター、中央広小路ビル)、納屋橋会場


▼岡崎から名古屋へ

10時前に東岡崎を出る名鉄特急に乗って、名古屋へ向かう。30分ほどで名古屋到着。さっさと地下鉄東山線に乗り栄へ。目指すは、愛知芸術文化センター(以下、芸文センター)10Fへ。

▼まずは芸文センターへ:「まず予約!」作戦失敗!

ここから回り始めることにしたのは理由がある。予約制の作品が2つあるからだ。まず最初に予約をしてしまおう、という算段だった。しかし、館内での展示場所を正確に把握しないまま、会場に入ってしまった。これが失敗。ようやく見つけた石上純也の作品は、外から覗きみることは随時可能だったので眺めさせてもらった。それで何となく、満足してしまったので、中に入る予約はしなかった。そして、もう1つ予約制と聞いた、平田五郎の作品が見当たらない。探すのを諦めて、もう一度入口まで戻って、順路に従って観ていくことにする。

▼芸文センター 10F:「震災」

最初の部屋は、ソン・ドン。古い家具、そしてガラス入りの窓枠が、床を、というか、部屋を埋め尽くしている。家具はなぜか奥行きがあまりない。厚みを奪われた感じ。壊れた家具や床に倒れている窓枠は自動的に記憶と結びつき、「震災」を否が応でも思い起こさせらる。

次の部屋は、暗い大きな部屋で、中央に金管楽器が吊るされ、その影が壁に映っている。それだけのシンプルな展示。少し部屋の中央へ近づいてみる。「あっ」キャプションを先に読まずに入った私はそこで気づいた。吊るされているものたちがどんなふうになっていたか。それで、俄然と引き込まれた。後でキャプションを見たら、そのことは言葉として書かれていた。先にキャプション見ないでよかった。作品を見ながら自分で気づく、その「発見」が、作品を観る時の醍醐味というか楽しみではないのかなぁ。コーネリア・パーカーの作品。

カーテンを抜けると、今度は、日本の「前衛」という空気感。「前衛」ということばが効力あった時代の。カラフルな方は、岡本信治郎個人名義。モノクロの方は、岡本が作家の友人たちに声をかけて共同制作したもの。震災を機に、複数人が集まり議論しながら描いたものだそうだ。「震災」の後、何か作らずにはいられなかった表現者たちが投げかける問い「では何を作ればよいのか」は、現在も問われ続けている。

そして、木でできた家の形の作品。映像が中に投影されていて、日常の生活道具などが映し出されているようなのだが、映像ははっきり見えない。意図的にぼかしていたのだろうか。ニッキ・ルナの作品(のはず)。

その次の部屋でまた現実に引き戻された。段ボールで仕切られた空間。映像があって、段ボールを組み立てるところから始まり、避難所での生活が映し出されている、と思ったら、これは震災当時のものではなく、いわば、再現映像なのである。役者と一般の人が混ざっていたそうだ。東電職員が謝りにくるシーンまである。アーノウト・ミックによるプロジェクト。

ストレートに真っ正面から「震災」と考える/想起させる作品が続いた後、私を迎えてくれたのは、「太陽の結婚式」で登場するヤノベケンジの作品群だ。これまでになく巨大なサンチャイルドは銀色に輝き、ビートたけし名義のチャペルとステンドグラスは、カラフルな光を放つ。幸福感溢れる空間。しかし、振り返ってみれば、「サンチャイルド」は、ヤノベがチェルノブイリを訪ねた時の経験から生まれてきた作品だ。それは福島へとつながる。

米田知子は、「震災から十年」という、もう一つの震災—阪神大震災—の「被災地のその後」を捉えた写真で現実を静かに見せてくれる。新たに起きた「震災」の影で忘れられかねない、かつての「震災」を再度記憶に呼び戻す。地震は自然現象だが、「震災」はどうだろう。なぜ「震災」を繰り返さねばならない?

青野文昭は、被災した宮古にあった実家「跡地」で拾ったものたちをつなぎ合わせて「復元」している。否、正確には「元」に戻ってないんだから「復元」とは言えないか? 「なおす・合体・適置」といった、彼の行った行為が正確にタイトルに入っていることに、彼が出会ったモノたちに対する敬意と、愛情あるいは惜別を思う。

紙で作られた建物の模型を天井から吊るして「揺れる街並み」を見せてくれたハン・フェンの視線は、「確かなものなどない」という警告のようにも、「足が地に着いてないぞ」という我々への批判のようにも思われる。

どの作品も「震災」「原発」へ帰結する。しかもストレートパンチで連続だ。展覧会としては、見応えあるし、明確だ。ただ、それを「わかりやすくてよかったね」と言って済ませられるほど、扱ってる問題は、誰にとっても軽くない。

▼芸文センター10F・11F:アートを観るのは視覚だけではない

平田五郎作品は、展示室の中ではなかった。展示室を出てから気がついた。予約しないと入れないと言われ予約したいというと、12:00なら入れるというので即予約。30分待ち。まだこのフロアで見てないものがあるからそれを見てれば、30分くらいすぐだろう。

11F 展望回廊の窓はダン・ペルショウスキによる大きなガラス窓の風景や空を背景にして描かれた、落書きのようなドローイング。広がる青空の上に描いていくのはおそらく気持ちいいだろうなぁ。

ロビーに置かれていたキャスパー・アストラップ・シュレーダー+BIGの映像作品は、アクロバティックな動きの連続で、素晴らしく上手に駆け上ったり、逆立ちしたり。見事な技に爽快感さえ感じる。ただ、この作品、置かれている場所が明る過ぎて、映像がよく見えない。映像に気づかない人もいるようだ。

それらを見ているうちに、ちょうど良い時間になった。

平田五郎の作品は、ロウでできた家の作品。中に入ることができるのは一人だけ。30分ごとに、3人ずつ予約を取っている。時間になったので、と入れてもらった。白い布で仕切られた狭い通路を入って行くと、ロウでできた家が現れる。入口はその、ロウの家の左下にある、細い隙間。入ってみようとするが、入れない。身体をひねって入れば入れるのかな、しかし、出てこれなかったらどうしよう。そんなことを思い、諦めようかと思っていたところへ係員がやってきた。ぜひ入ってみてください。と勧められ、気を取り直し、身体を横向きにして何とか入口は突破。だが、這って行くしかない、天井の低い通路をくぐり抜け、階段になっているところを昇り、それを繰り返すうちに最上階にたどり着く。最上階は天井は高かった。何だか不思議なところへ来てしまったなぁ...。戻るには今来た道を戻るだけだ。膝をついて這ってきたので、膝のところだけ白くなってしまった。洗えば落ちます、とは言ってたが。これを見ようと思うならば、オシャレな服を着ていったらダメだよ。

入口は小さくて入るのに躊躇 こんな階段を上がって
1フロアずつ昇る
最上階は立てるほど天井が高い

▼芸文センター 8F:再生に向かって

10F、11Fを見終わったあと、8Fへ。
8Fエレベーターホール横に設置されていたいのは、フロリアン・スロタワの映像作品。なんと、美術館の中を、真剣に走っているのだ。しかも、振動には弱そうな「愛知県立陶芸博物館」の中を。「良い子は真似してはいけません」という注意書きはなかったが、この映像観たら「やってみたい」と思っちゃうよねぇ... と余計な心配。

展示室へ入ると、エントランスゾーンの彦坂尚嘉の「復活」と大きく描かれたインスタレーションが出迎えてくれる。

入口のところから、鉄骨が剥き出しになったコンクリートの壁のインスタレーションが続く。建築家の宮本佳明の作品だ。福島原発の建屋の上に、唐破風の屋根を乗せて、神社にする、というプランの模型が展示されている。実際に模型で見てみると、違和感はさほどなく、説得力があった。

ソ・ミンジョンは、発泡スチロールで、瓦礫に埋もれ破壊された街を作り上げた。白い、見慣れた発砲スチロールが重力感や歴史を消し去り、「破壊された」形だけが浮かび上がってくる。



フィンランドで建設中の原子力発電所の「できるまで」を語る映像作品は、ミカ・ターニラの作品。映画的な絵作りがされている映像で、原子力発電所を受け入れていく人たちを描く。この映像のフィンランドの原発は、まだ稼働してないそうだ。

一方、現在稼働している原発の周りの様子を撮影した作品を発表していたのが、ミッチ・エプスタインだ。原発のこんな近くで生活していてよいのだろうか。ここに写っている人たちは、事故、なんて想定していないのだろうな。

実際どれくらい危険なんだろう? 放射能漏れを起こしたのは福島の原発だったが、影響はどこまで及ぶのだろう。「未来の世代である子どもたちは、放射能から離れるべき」「東京だって危険だ」ー「逃げるといってもどこにも知った先があるわけでもない」
そんな意見を丁寧に捉えた映像を作ったのは、ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・サニ。
黒澤明監督の『生きものの記録』という映画を見て、思うところを話す、というのをワークショップという形で行なったもの。映画の登場人物の誰に共感したか、など、それぞれに異なっていて興味深い。

その次の展示室も、仕切られた部屋だ。また映像か...と思ってカーテンを開けたとたん「あ!きれい〜」と思わず声を上げてしまったのが、オノ・ヨーコの作品だ。クリスタルガラス?水晶?が入った透明なケースに照明を当てているだけなのだが、反射した光が部屋の壁から天井まできらきらと溢れかえっている。

「リアス・アーク美術館」名義で展示されているのは、震災直後からの、街の様子のレポートのようなもの、震災の話題でよく使われる言葉に関するテキストなど。この美術館自体、被害が大きかったはず。だから「当事者」の視線も持っている。「ガレキではなく『被災物』」とのテキストに、胸を突かれた思い。「当事者」と「傍観者」の溝は大きいのだと改めて感じる。

▼芸文センター8F:後半は空間を意識させる作品が並んだ

このあたりで13時頃だったろうか。まだまだ展示は続くようだが、お腹もすいてきた。集中力も落ちてきた。何か食べよう、と、展示室からいったん出た。会場から出ようとした時、ここのミュージアム・カフェの看板が! 
ここで一休みすれば、またすぐ続きを観られる。だいたい、まだ見終わってないうちにもう午後だ。のんびりしていると、他のところへ行けなくなってしまう。
と考えて、早速入る。サンドイッチをいただいて、再び出発。

ペーター・ヴェルツ+ウィリアム・フォーサイスの作品は、男性がひとり、ダンスをしている映像だ。6枚の画像に異なる視点からの映像が表示されるのだが、ピッタリと全ての映像の同期が取れている。ダンスをしているパフォーマーが手に持っていた、小さなカメラが捉えた「手からの映像」は興味深い。トータル100分もある映像だとあったので、早々に適当なところで切り上げた。

フィリップ・ラメットはだまし絵的な写真作品を発表。「あり得ない」体勢で写真に収まっている人(おそらく作家自身」)が、笑いを誘う。どうやって撮ったんだろう? その疑問に答えるように、身体を固定するらしき器具が展示されている、これを使ったにしても.... と想像は膨らむ。

ステファン・クチュリエの写真は、画像を微妙に重ねあわせたもの。輪郭線がぼやけ、色は濃くなる。写っていたものが何だったのかはわからなくなる一方で、雰囲気や気配は濃くなっていくのだ。人間の目って、実は、こういうふうに捉えてるのかもしれないなぁ。あるいは目で見る時ではなく、記憶する時に、こういうふうになるのかもしれないな。

40人のコーラス隊を、40個のスピーカーで流す、というジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの作品は、以前、東京の銀座のエルメスで観た覚えが。どこで何度聞いても/観ても楽しめる。

と、休憩してから観た作品は、あまり「震災」とは直接には関わらない作品のように感じた。が、何れも、空間に対して意識的にさせられる作品だった。

▼芸文センター地階ほか

芸文センター内、どこを歩いても、宮本佳明の作品である、福島原発を実物大でこの建物に組み入れた、そのテープで描かれた線に遭遇する。吹き抜けから眺めると圧巻だ。
地下にはサンチャイルドの大きな像があり、子どもたちに人気だ。近づくとかなりの大きさ。村上隆がでっかい羅漢を作り話題になったが、ヤノベケンジのサンチャイルドも大仏のようなものになりつつあるなあ。

地下の広い部屋で上映されていたブラスト・セオリーの映像、というか映画。映画的手法で作られた作品なのだが、手法として映画の「お約束」を使っていて、ひたすら「お約束」が続くのだ。始まりからずっと、「何かが起きそう」な雰囲気。そういうシーンがひたすら続き、「何かが起きそう」なまま、何も起こらず、まるで何かが「解決したような」シーンになり、ジ・エンド。映画をみるってこういうことだったのか。映画というのがこれほどまでに「お約束」で固められているものだったか、と、改めて感心する。だけど、その映画の「お約束」を知らない人がいたとしたら、そういう人はこの作品をどう見るのかな。

地下から地上への通路には、丹羽良徳の作品。デモ隊に逆行して歩く、という映像の作品や、レーニンに関する物をロシアで探す、といった映像作品。あまりにストレートであるが故に、ひねくれてるように感じさせる、題材の選び方がおもしろい。


芸文センターの展示を見終わった時には、すでに16:00近かった。まだ名古屋の会場は、白川公園、納屋橋、長者町と残っている。もう行けたとしても1カ所だろう。しばし考えて、納屋橋に行ってみることにした。
白川公園の名古屋市美術館は17:00閉館。芸文センターから移動していると、閉館間際になってしまう。ここは9:30から開くので、翌日、午前中から行けばいい。宿は長者町エリアのど真ん中に取ったので、翌日観られるなら観ればよいし、様子はわかるんじゃないか、と。そんな判断で、中央広小路ビルに寄り、納屋橋会場をめざすことにする。

▼中央広小路ビル:未来への思考/志向/試行

中央広小路ビルは、ちょっと存在場所がわかりづらいかもしれない。展示は、1Fと2F。

1Fは、國府理の展示。先月観に行った、西宮市大谷記念美術館での個展に出していたのと同種の作品。パラボラアンテナをひっくり返してそこに土を入れて木を植えた作品、乗用車をひっくり返して、芝生を敷き詰めたものと、砂利を敷き詰めたもの。この会場、作品へのスポットだけで、部屋全体には照明がなく、外光も入らないようにされている、ガレージのような部屋。本来の機能を奪われたパラボラや車は、美術館のホワイトキューブで観た時は、その「機能を奪われた」という感じが強かったのだが、この暗い場所では、何か新しい機能が与えられるのを待っているようにも見えた。

2Fは藤村龍至。道州制を見据え、庁舎の建築計画を提示。2チームに分かれて、それぞれがプランを提出、観客はそのどちらかに投票する。選挙のとき使うようなちゃんとした投票箱も設置されている。投票用紙には意見を書くこともできる。そのようにして寄せられた意見を受けて、建築案も、少しずつ変化しているらしい。展示室の中の一部屋では、熱い話し合いが行なわれていた。外から来た人も、この街で暮らしている人も、ちょっとだけ、この街の未来を想像し、未来への思いを共有する。

こじんまりとした会場だが密度濃く楽しめた中央広小路ビルを後にし、納屋橋会場を目指して、引き続き歩く。

▼納屋橋会場:境界—意識するともせざるとも

納屋橋会場は大きな建物1つだけだ。と言って甘く見ると、作品は思いのほかたくさんあるし、細かい部屋がたくさんあって、うっかりすると、観損ねたりしそうである。(実際私も、観損ねた作品があったようだ)

会場の建物は川沿いにあり、大きな倉庫のようだった。それを見つけて、近づいていくと、建物の中から、ボーリングのレーンがピンを載せたまま、建物の壁からするすると出てきた。リチャード・ウィルソンの作品。この建物、最盛期にはボーリング場だったそうで、その記憶を取り出した作品だ。

そんな作品に迎えられつつ、建物の中に入ると、下道基行の作品が並ぶ。日常の中にある、ちょっとした境界に注目し、それらを標本化している。標本化することで、いろいろな境界をフラットに観ることができる。境界とは、各自が認識する世界のふち(輪郭)のようなものかもしれない。境界を越えるごとに、世界は拡がっていく。

池田剛介は、自転車の回転による発電する装置を展示。発電装置は、電気を起こす元になる「振動」を直接体感させてくれるシェルターに包まれている。そして発電された電気は、音に変換され、壁の鉢植え植物に与えられる。その時、音は再び振動となる。植物は音を浴びると大きく揺れる。音はやはり「波」なのだ、と改めて思う。

柔らかで穏やかな導入でここの展示は始まったのだが、その次のニラ・ペレグの作品では、シビアな「境界」が提示されていた。ユダヤ教徒の人たちが、彼らの安息日を迎えるときには自分たちの居住地区への車の進入を遮るためのバリケードを設置する映像。なぜこんなことをしなければならないのか? 疑問は残るばかり。しかも、子どもたちも動員してまで。これでは対立は終わらないだろう。あぁ。なす術もなく溜め息が出る。

クリスティナ・ノルマンは、民族対立で起こった事態の映像を見せていた。商店を襲う暴徒、あるいは、街の中のデモ隊と警察の衝突。あるいは、兵士の彫刻を作り公園に設置したところでの警察との軋轢。どれを観ても、本当に酷いと思うのは、警察(国家権力)による人々への暴力だ。暴徒と化したとしても、元々は普通の人たちだし、武器も持っていない。それなのに、なぜ、後ろ手に縛られなければならないのか。アーティストが設置した彫刻をひたすら排除しようとする警察。表現活動を封じ込め、民族の独自の文化を認めず、自分たちと異なるものたちを認めず、排除することに躍起になっている。何だか観ていてとても悲しく、また、腹立たしかった。境界線を作る、ということは排他行為であり、それを続けている限り、何も変わらないのだ。またも溜め息。

そんな中、複数のはかりの上にモデルルームを置き、中に人が入った時の、はかりの変化を見せるという竹田尚史の作品や、新見泰史の抽象的な線を与えられた具象的な線画、インターネットから拾ってきた画像をもとに、それを拡張して絵画を描く荒井理行の作品などで和まされた。
新見泰史
荒井理行
アンジェリカ・メシティの作品は、世界は捨てたものではない、と、安心と勇気をくれた。さまざまな場所で、思い思いの方法で撮られた演奏の映像が順に提示された後、それらを合わせてひとつの音楽を作りあげる。こういうコラボレーションもやろうと思えばできるんだ。他人を排除するのではなく。

青木野枝は、この建物が賑やかだった頃の名残りを見せる、大きな吹き抜け天井の、ボールルームのような部屋でインスタレーション。この部屋にかつては充満していた、キラキラと輝く光の粒子がこぼれ落ちるさまを描いたかのような、部屋全体を覆うしなやかな鉄の彫刻。

さらに順路に従って進んでいくと、3Fへ階段で上がる指示。階段を昇っていくと、名和晃平のインスタレーション。入ると真っ暗な中で少し下り坂になっていてそれを進むと、全貌が見えてくる。歩いた感触では砂が敷き詰められているような感触の床。その床と、特に境目はなく、ふつふつと白い泡が出ている。常にどこからか泡が発生しているので、緩やかに全体の形も変化しているようだ。型があるわけでもなく、ただただ、空間に拡がっていく泡。ぷくぷくと小さな音を立てて拡がっていくさまは、生き物のようでもある。このインスタレーション空間自体が大きな生き物だと思うと、ここでじっとしてたら泡に覆われて食べられてしまうんだろうか、とか、そんな突拍子もないことを想像。この「ぷくぷく」という音が何とも生々しい。名和の作品はこれまでは「生き物」感は極力無くしていたような、あるいは「生き物」の美しさを封じ込めるような印象をもっていたので、ちょっと意外な感じがした。


そして、ぐるぐると会場を回っているうちに、ようやく出会えた、片山真理の部屋。この建物がマンションのモデルルームとして使われていたこともあった、その名残りで、残っていたスタイリッシュな部屋を丸ごと使ったインスタレーションは、まるで、プライベートルームに入り込んでしまったような感じだった。
まず、2点の大きなセルフポートレートが迎えてくれる。1つは天使のような白いコスチューム。もう1つは黒いコスチュームで魔女のようだ。別の壁面を埋め尽くすように並んでいた瓶詰めには、魔女が封じ込めたものが入っているのだろうか。奥の部屋へ入っていくと、いろいろなモノが乱雑に置かれているのだが、それらの片山の目が選び出したモノたちが語るのは、片山の存在/不在だ。彼女は確かにそこに「居た」、天使のようにふんわりと。

これだけ観たら、さすがにもう、頭一杯。時間も7時に近づいていた。この日はここで終了することにした。翌日は白川公園会場と長者町会場。両方回れるかなあ。

あいちトリエンナーレ2013 [第1日目:岡崎]

見に行った日:2013.8.26


会期:2013.8.10-10.27
会場:東岡崎駅会場、康生会場、松本町会場


※まだ観てない方には「ネタバレ注意」な文です。


▼東京からバスで岡崎へ

朝7時に東京駅を出発する高速バスに乗る。深夜バスではない、路線バスだ。車掌はいない。チケットの確認からトランクの荷物の出し入れ、未予約の人が乗れるかどうかの判断、乗れない場合の案内まで、運転手一人が取り仕切っていて、混んでいるから大変そうだ。ようやく富士山が風景から過ぎ去った頃、車内アナウンス(もちろん運転手がやる)で、30分遅れで運行、と。降りる予定の本宿バス停には35分遅れで到着。正午ちょっと過ぎだった。バスから名鉄に乗り継いで東岡崎駅へ。

▼東岡崎駅会場:駅ビルの凄いアウェイ感

東岡崎駅会場は、駅前ロータリーのオノ・ヨーコの作品と駅ビルの3Fワンフロア。

ヨーコの作品は、会期前に岡崎に来た時、既に見ていたからスルー。正直言って、あんまりビビッとは来なかったが。

駅ビルは、私が知っている頃から既にレトロ感漂う建物だったが、展示会場となっている3Fは、とんでもなくアウェイな空間になっていた。かつては飲食店が並んでいたフロアに、1軒だけ洋食屋が営業を続けている。その店以外は壁も何も残ってはいない。寂れた商店街を「シャッター街」などと言うけれど、閉めるシャッターさえ無くなってしまった店たち、それらは存在しないがゆえに、「そこにかつて存在した」ことを強く感じさせる。

作品観なきゃね、と視線を作品に戻す。
ゲッラ・デ・ラ・バスのインスタレーションは、岡崎がかつて紡績産業が盛んだったことを思い起こさせる、古着や古布を使ったインスタレーションだ。古着を使った作品というと、それを「着ていた誰かの記憶」を思い起こさせる、ちょっと重苦しい作品になりがちだが、古布で包まれた丸い石たちに埋め尽くされた空間は、柔らかな石庭、とでも言うような、親しみのある、記憶だとしても「懐かしさ」を感じるような、そんな作品だった。
もう一つは、ブーンス・タントロンシンのアニメーション。ダッチワイフ人形が、次々と降ってくるコンドームを膨らませると、カボチャになったり、バナナになったり...というようなユーモアに満ちたアニメーション。何だか和みつつ、ちょっとブラックな気分も。

▼康生会場:「虚」だからこそ

駅から康生町へ。「シビコ」は全館クローズしたのかと思っていたら、下層階はまだ現役だった。上層階(5F、6F、屋上)が展示会場となっていた。この鄙びたショッピングセンターで、どう展示するのだろう...。そんな心配は、3Fから階段で上がった5Fで、向井山朋子+ジャン・カルマンのインスタレーションを見て吹っ飛んだ。

くしゃくしゃにされた新聞紙、積み上げられた壊れたピアノ。向井山の演奏が自動演奏されている。もはや弾くこともできないほどに壊れたピアノはその場の音と共鳴し、新たな音を発している。時々強い光を放つ照明。入ってくる観客も皆パフォーマーのように見えてくる。がれきの山の中で、何かを探しているのか、探されるのを待っているのか...。

そして少し離れたところに、壁で仕切られた部屋があり、そこに入ると先ほどまで見ていたインスタレーションを窓越しに見ることになる。とたんに、さっきまで体験していた「それ」が「映像」として見えてくる。「現場」が「映像」になり、「体感」が「記憶」になる。「それ」との一体感は失われ、距離感が増す。それは寂しいような悲しいような、しかし一方でほっとするような。

もはやその空間がかつて何だったのか、なんてことは、全く関係なかった。その空間は、ただただ、だだっ広く、ぽかんと街の真ん中に存在していた。

6Fは、志賀理江子個展。2つの部屋、両方とも志賀の作品。「螺旋海岸」の膨大な量に圧倒される部屋に対して、もう一つの部屋は広いところに3点のみ。対照的な展示で、志賀の写真が持つ力を見せつけられる。

屋上は、studio velocity。床がすべて真っ白に塗り尽くされていて眩しい。受付でサングラスを貸してくれる。何が作品だろう、と探す。形があるものが見つからない...。どこだ、どれだ、と考えるうちにふと上を見上げると、網がかかっている。これか! 気がつくと、どんどん見えてくる。風が吹くと少し揺れて、白い面のように見えることもあるそうだ。シンプルな仕掛け(だけど作るのは相当大変だろう)で風景が異化される。

残念だったのは、バシーア・マクールの作品。レンチキュラー写真を使うアイデアも使い方もとても良いと思えたのに、インスタレーションがビシッと決まってないのだ。レンチキュラーシートは厚みがあって重たいのに、両面テープで貼り付けただけのため、浮いてしまったり、剥がれてきてしまうのだ。これがピタッと決まればよかったのになぁ。

シビコを出て、レッド・ペンシル・スタジオの建築的な作品を眺め、春ビルへ。アリエル・シュレジンガーの作品。割れたガラスの入った窓枠を撮影した写真を、その窓枠とガラスでできたフレームで額装。実物とその像が入れ子になって重なり合い、イメージが広がる。ギャラリーでの個展と言う規模で複数点の作品を見られるのはいい。

旧連尺ショールームでは平川祐樹。矢作川の氾濫に備えて各家で船を持っていたという話に基づいての船のインスタレーション。川砂の床で眺める、丸い石が濡れて乾くまでの映像は、丸い石を6個集めて祀っていたという話から。きちんとリサーチして自分の作品に組み入れていく巧みさと丁寧さに感心する。

▼松本町会場:新たな魅力発見

康生会場を見終わった後、喫茶店で休憩。14時を過ぎてしまったのでランチは終わってる、てことで、コーヒー&チーズケーキ。「ピーナツがついてるのは当たり前だと思ってた」。
康生町から少し北寄りに来てしまったので、松本町会場へは歩いて移動。

知らなかった、こんな場所。狭い路地、小さな天井の低い木造家屋。古着物屋さんがあったり、道具屋があったり、奥へ行くとそれらを守るようにこじんまりとしたお寺。何だか落ち着く。

「パーマ屋さん」と呼びたい元美容室に作品を仕込んだのは、青木野枝。窓や換気口と絡み合う鉄のしなやかさはさすが。
丹羽良徳は、マルクスの166歳の誕生日を祝い、ケーキに166本キャンドル立てて、火を灯す。が、それはまるでケーキが燃えてるようだった。
山下拓也は、古い木造家屋の壁の板を、止め合わせてフィギュアを配置。帯留めのように見えるものもあるし、何だかそのこと自体に秘密めいた感じが漂う。

こうして無事全作品を見終わった。
雨が降ると運休になってしまうベロタクシー。「今降ってないよ」とゴネてたら、特別にのせてくれた!運良く雨も降らず康生へ。最高のフィニッシュ!!


Special Thanks to Machiko H.

2012年4月20日金曜日

東京音図 4月定例会:オートマトン俳句

見に行った日:2012.4.20
(2012.4.22に書いていたのに公開してなかった。ので、2013.1.14加筆修正して公開。)

会期:2012.4.20 19:30~
会場:Artist (下北沢)



「東京音図」は、朗読アーティスト(勝手に命名)の赤刎千久子の企画によるイベントである。
今回は、歌人である田中槐による「オートマトン俳句」(*)。

「オートマトン俳句」には、2つの読み方があり得る。1つは、ランダムに生成された文字列として、淡々と機械的に読む方法、もう1つは、意味付けして、意味を感じさせるように読む方法だ。以前、「オートマトン俳句」を発表した際は、田中槐は全ての句を、この2つの読み方で読み上げていたが、今回はコラボレーションとして、田中と赤刎の2人で読む形だ。

赤刎が、無意味な文字列を機械的に読み上げる。
その後、田中が、それを意味付けし「俳句」としたものを読み上げる。

「永遠の文学少女」たる赤刎は、少女がその純粋さの故に時に残酷であるように、まさにその「純粋故に残酷な」振る舞いでもって、組み上げられた17文字をバラバラに解体し、宙に放り出す。放り出された音たちは、田中によって拾い上げられ、組み直されていく。破壊と創造。その繰り返しはまさに世界であり宇宙である。そしてそれは、無意味の中のわずかな裂け目にほのかに香る意味を嗅ぎ取っていく、という、田中の制作行為を露にする。そして我々は、秘されたものを垣間みるような、罪悪感と快感の入り交じった、スリリングでエロティックなひとときを体験する。


(*)「オートマトン俳句」は、「新・方法の夜 vol.4」(2012年2月18日開催)で初めて発表されたものだが、簡単に言えば、ランダムに生成した文字列からなる俳句である。ただし、季語はあらかじめ決めたものを入れる。したがって、
(季語)+(その季語を除いた文字数のランダムに生成した文字列)
という形になる.季語は必ずしも冒頭に来るわけではない。
ランダムに並べられた文字列が意味を成すことはまずあり得ない。それでも、意味を感じさせる文字の並びになることがあるのだという。膨大な無意味なはずの文字列の中から,そういう、意味を感じさせる文字列を選び取り、一部の文字を漢字表記するなどして、意味を感じるようなものにしているそうだ。




2011年12月10日土曜日

駒形克哉氏による古典定型詩の韻律に関する解説を記憶を頼りに書いてみる。

見に行った日:2011.12.10


会期:2011.12.10
会場:20202

古屋俊彦展@20202 トークイベントにて


 ◎イタリア語の定型詩
11音節8行詩(ルネサンスの頃に書かれた詩の形式)
  • 11音節からなる1行が8行で構成される
  • すべての行について、10音節目に一番強いアクセントが置かれる
  • イタリア語の単語は通常、終わりから2音節目にアクセントが置かれるため、10音節目にアクセントを置くようにすれば、自然と11音節で単語の区切りとなる。
  • 終わりから2番目でない音節にアクセントが置かれる単語,というのも例外的だが存在し、そのような単語がが使われる場合には1行が12音節、13音節となることもあり得る。→【勝手解釈】10音節目にアクセント、ということが最優先する
  • 2番目に強いアクセントが置かれる音節の位置には2種類ある。 6音節目に置かれる場合、「大様式」と言われ、公的な感じ、荘厳な感じ、とされる。 4音節目に置かれる場合、「小様式」と言われ、私的な感じ、身近な感じ、とされる。
  • 各行の終わりの音は8行につき3種類で構成する。A,B,Cの3種を、A B A B A B C C と配する形式。
  • 1行目、3行目、5行目が同じ音で終わり、2行目、4行目、6行目は1、3、5行目とは別の、同じ音で終わる。7行目、8行目は、また別の、同じ音で終わる。

◎ラテン語の定型詩
ヘクサメトロン
  • 長音と短音の組み合わせによる音韻。
  • 長音=2分音符、短音=4分音符 として6小節で読む【駒形氏独自の説明;一般的なラテン語の教科書等では、このような楽譜による説明はしない】
|長 短短|長 短短|長 短短|長 短短|長 短短|長 長|

  • 「短短」の部分は「長」でも置き換え可能。
  • 5小節目にあたるところは「長 短短」とならなければならない。
  • 最後の「長 長」は「長 短」となっても構わないが「長 短短」とはならない。

◎定型詩の形式は他にもいろいろある。


記:2011.12.11 記憶を頼りに記述。
改:2011.12.13 駒形氏に見ていただきご指摘いただいた点を修正加筆。

(Facebookより転載)

2011年11月21日月曜日

中ザワヒデキ油彩新作展「かなきり声の風景」

見に行った日:2011.11.21


会期:2011.11.15〜12.2
会場:ギャラリーセラー



「かなきり声の風景」は、中ザワヒデキの油彩画のタイトル、いや、正確に言えば、油彩新作展のタイトルである。今回展示された各油彩画のタイトルは「赤い」というのがタイトルに付いていて、「赤いかなきり声の風景」というようなのである(ギャラリーにあった作品リストによれば)。

見れば、確かにその画面には赤が溢れている。しかもいろんな赤だ。しかし、その赤は何の色なのか。赤く燃える太陽、といっても、こんな色ではないし、夕陽の赤でもなければ、赤ワインの赤でも,赤いリンゴの赤でもない。写実的な絵画でないことは明らかにわかる。だから、その赤が特定の何かの色だと解釈する方が間違いかもしれない。それでも、こんなに赤い色ばかり並ぶと、なぜ赤いのか、と考えてしまう。

何か、赤いモノをあてがって、私は安心したいのかもしれない。それほどまでに不穏な赤色なのである。暖かみを感じさせる色=暖色だと言われるが、これらの赤は、暖かみなどという緩やかな状態ではなく、何か沸々と煮えたぎったような熱さを感じさせる。

そこまで考えてようやく辿り着いた。この赤は、血の赤ではないか、と。そしてそれはふつふつと沸いているのである。何かと戦うように。あるいは何とも戦わないために。

中ザワは、美術史に造詣が深い、というか,そんな「造詣が深い」だなんて言葉では軽過ぎて不適切なほどに、一貫した美術史観をずっと持っている。近現代の美術史は「表現主義→反芸術→超現実主義」の繰り返しである、というものである。中ザワ自身の表現スタイルも、まるでこの美術史を辿っているかのように、私には思われる。

画業の初期、学生時代には油彩も描いていたようだが、主にはアクリル画の時代。マチエールに強くこだわったこの時期の作品は表現主義的ではなかったか。

その後、芸術に反旗を翻し(まさに反芸術)、「イラストレーター」と自称していた時代。

そして再び美術の世界に戻ってきた時には、コンセプチュアルな「方法」という概念を掲げていた。かつてのシュルレアリストたちが「宣言」として、そのコンセプトを発表したように、「方法」も「宣言」されて開始された。

ここまでの時期は、美術史上に現れた、多くの「主義」と同様に、それ以前の表現や主張を否定することにより、新しい表現を作り上げてきた。だから、そこで、前の時期に戻る、などということは有り得なかったはずである。

しかし、「新・方法」の登場あたりから、中ザワの姿勢は変化してきたように思う。「新・方法」は、「方法」でやり得なかったことをやっているが、ある意味「方法」のやり直しである。以前の表現を否定して次の表現を獲得してきた、それまでのやり方のもとでは、有り得ないことである。「方法」として行ったが不本意だったところを批判することがあるのは、過去を否定するやり方の断片がまだ残っているのかもしれなかったが、原則的には「新・方法」は「方法」を否定していない。

「新・方法」が順調な活動をするようになると、中ザワは自己回帰のようなことを始めるようになる。美術界への反旗であった(と私は解釈していた)「バカCG」を改めて「ニュー・バカCG」を始めたのには驚かされた。中ザワは「イラストレーター」時代を否定していなかったが、とは言え、現在の「美術家」中ザワの仕事とは一線を引いているのだと、私は思っていたからだ。

そしてさらに、今度は「油彩画」と来た! 中ザワの「美術家」としての初期の作品には、アクリル絵画があったということは、以前の展覧会で見て知ってはいた。そのアクリル画以前には油彩も描いていた、と、話には聞いていた。が。そこまで戻るか! と、思ったのである。

これはたいへんなことになる。

かつては相容れなかった/相容れようとしなかった/相容れさせなかったものたちを、すべて、自身のものとして、取り込んで/飲み込んでしまおうとしている。それは、それぞれが、あるひとつの概念や主張であるところの「-主義」を、すべて否定/肯定しなければ突き進めない道である。とんでもない茨の道に足を踏み入れてしまったのではないか、中ザワは。

そのことを「多様式主義」などと軽く言ってのける。が、それこそがこれまでの数多の「-主義(ism)」が生まれては消え、無数の「-主義者(ist)」たちがなし得なかったことではないか。そこに、挑んでいるのである。おそらくは意識的に。

「-主義(ism)」を以て「-主義(ism)」を制す。

おそらく、それはさまざまな「-主義(ism)」に精通した中ザワにしかできないことだろう。あるいは10年くらい遅れて、それをできる人が現れるかもしれない。「新・方法」が、10年遅れてきた「方法」と言われたように。

さて、話を「赤」に戻そう。
そんな「茨の道」だからこそ「かなきり声」があり、意識的/無意識的に、その困難に挑む覚悟や勢いが、この油彩画の「赤」には溢れている/潜んでいるのではあるまいか。

2011年8月27日土曜日

新・方法「アップローディング・イヴェント」

開催日:2011.8.27 0:00〜23:59(webサイト上での開催)


会期:2011.8.27 0:00〜23:59
会場:http://7x7whitebell.net/new-method/up.html(現在は存在しないサイト)


新・方法からメールが来た。

1964年10月10日、ハイレッド・センターはドロッピング・イヴェントを行った。
2011年8月27日、「新・方法」はアップローディング・イヴェントを行う。

とあった。「アップローディング・イヴェント」って何するんだろう? 想像つかなかった。引き合いに出しているのは、ハイレッド・センターである。つまらんわけはないだろう。
当日を楽しみに待つことにした。

8月27日0:00〜23:59開催とのことで、サイトが開くのは27日の0時。
仕事が圧してしまって、26日の夜中まで及んでしまったため、私がサイトにアクセスできたのは開始から30分後くらいだった。そこには、この間、そこに「アップロード」されたファイルのリストが並んでおり、続々とファイルがアップロードされていた。ただ、それだけである。しかし、たくさんの人が、そこに集っていることは感じられた。誰でも、何でも、アップロードできるとのことだった(技術的に、仕様上の制限はあったのだがそれは明示されていなかった)。アップロードされたファイルは見ることができるので見てみる。確かにいろんなファイルがアップロードされている。アップロードするファイル数の制限もないようなので、一人で複数ファイルアップロードしている人も多いようだ。というか、一度アップすると、またアップしたくなるようなのだ。そんなものかね、と思いながら、私も1つ、アップロードしてみた。無事送られて、リストに追加された。それだけのことなのだが、なんだか爽快な気分になった。

SEという仕事を経て、現在もwebサイトの管理などしている私にとっては、通常アップロードという行為は、重要な役割や意味を持つとされる行為であり、若干の緊張を伴う行為である。しかし、この「アップローディング・イヴェント」では、その「アップロード」という行為には、「そこに参加する」という役割と意味しかない。「参加すること」は任意、つまり、それぞれ本人の意思に任されていることであり、それ以外の意味や役目からは解放されている。つまりここでの「アップロード」という行為は、意味を剥奪された、いわば「純粋なアップロード」である。その「純粋なアップロード」という行為を初めて体験して感じたのは、「アップロードってこんなに気持ちよいものだったのか!」ということだった。とにかく、気持ちいいのである、だから、またアップロードしたくなってしまうのだ。ここに参加しているみんなもそうなんだろう、と確信した。快感でなけりゃ、こんなにみんなアップロードしないだろう。

そしてこの「アップロード」という行為の意味のなさが、参加者たちに不思議な連帯感を与えているようにも感じられた。みんなで大勢で集まって、無意味な行為を繰り返す。それはたいへんな快感を得られる行為なのである。通常は、何かを「得る」ことが快感とされるが、それは「得られないものを得る」からである。通常は「何かを得る」ための行為を「何も得ることもなく」行う、そこにある種の清々しさのような快感があるのだ。

諸々「自粛」ムードの昨今には言いにくいことなのだが、テクノロジーの発展には、ある種の「無駄遣い」が必要なのではないか、と、私はかつてより考えている。「そんなことして何になるの」と言われながら、無駄と思われるようなことに新しい技術を試してみることで、その技術を理解し、使いこなせるようになっていったりする、ということは、技術者にとってはよくあることだと思う。新しい技術の発展が、「テクノロジーの無駄遣い」の結果である、ということも少なくないのではないだろうか。あるいは、重要なところではよくわかった技術(いわゆる「枯れた技術」)を使う、という考え方がある。最初から、重要な責務のあるところで新技術を試す、なんて、恐ろしい、というわけだ。

そんなことを考えながら、「アップローディング・イヴェント」を眺めてみた。そこで起こっていることは、まさしく「テクノロジーの無駄遣い」である。そして、イヴェント終了時にアップロードされたファイルはもちろん、サイトごと抹消されてしまう、ということで、その「無駄遣い」ぶりは徹底されたものとなった。

おそらく、「アップローディング・イヴェント」に参加した人たちは、「アップロードの快楽」という新たな感覚に気付かされたはずである。そして、その「アップロードの快楽」に気づき、それを楽しんだ人たちがいた、ということは、おそらく「アップロード」という技術の世界に新しい地平をもたらすことになり得るのではないだろうか。

(記:2011.10.13)