2013年8月27日火曜日

あいちトリエンナーレ2013 [第1日目:岡崎]

見に行った日:2013.8.26


会期:2013.8.10-10.27
会場:東岡崎駅会場、康生会場、松本町会場


※まだ観てない方には「ネタバレ注意」な文です。


▼東京からバスで岡崎へ

朝7時に東京駅を出発する高速バスに乗る。深夜バスではない、路線バスだ。車掌はいない。チケットの確認からトランクの荷物の出し入れ、未予約の人が乗れるかどうかの判断、乗れない場合の案内まで、運転手一人が取り仕切っていて、混んでいるから大変そうだ。ようやく富士山が風景から過ぎ去った頃、車内アナウンス(もちろん運転手がやる)で、30分遅れで運行、と。降りる予定の本宿バス停には35分遅れで到着。正午ちょっと過ぎだった。バスから名鉄に乗り継いで東岡崎駅へ。

▼東岡崎駅会場:駅ビルの凄いアウェイ感

東岡崎駅会場は、駅前ロータリーのオノ・ヨーコの作品と駅ビルの3Fワンフロア。

ヨーコの作品は、会期前に岡崎に来た時、既に見ていたからスルー。正直言って、あんまりビビッとは来なかったが。

駅ビルは、私が知っている頃から既にレトロ感漂う建物だったが、展示会場となっている3Fは、とんでもなくアウェイな空間になっていた。かつては飲食店が並んでいたフロアに、1軒だけ洋食屋が営業を続けている。その店以外は壁も何も残ってはいない。寂れた商店街を「シャッター街」などと言うけれど、閉めるシャッターさえ無くなってしまった店たち、それらは存在しないがゆえに、「そこにかつて存在した」ことを強く感じさせる。

作品観なきゃね、と視線を作品に戻す。
ゲッラ・デ・ラ・バスのインスタレーションは、岡崎がかつて紡績産業が盛んだったことを思い起こさせる、古着や古布を使ったインスタレーションだ。古着を使った作品というと、それを「着ていた誰かの記憶」を思い起こさせる、ちょっと重苦しい作品になりがちだが、古布で包まれた丸い石たちに埋め尽くされた空間は、柔らかな石庭、とでも言うような、親しみのある、記憶だとしても「懐かしさ」を感じるような、そんな作品だった。
もう一つは、ブーンス・タントロンシンのアニメーション。ダッチワイフ人形が、次々と降ってくるコンドームを膨らませると、カボチャになったり、バナナになったり...というようなユーモアに満ちたアニメーション。何だか和みつつ、ちょっとブラックな気分も。

▼康生会場:「虚」だからこそ

駅から康生町へ。「シビコ」は全館クローズしたのかと思っていたら、下層階はまだ現役だった。上層階(5F、6F、屋上)が展示会場となっていた。この鄙びたショッピングセンターで、どう展示するのだろう...。そんな心配は、3Fから階段で上がった5Fで、向井山朋子+ジャン・カルマンのインスタレーションを見て吹っ飛んだ。

くしゃくしゃにされた新聞紙、積み上げられた壊れたピアノ。向井山の演奏が自動演奏されている。もはや弾くこともできないほどに壊れたピアノはその場の音と共鳴し、新たな音を発している。時々強い光を放つ照明。入ってくる観客も皆パフォーマーのように見えてくる。がれきの山の中で、何かを探しているのか、探されるのを待っているのか...。

そして少し離れたところに、壁で仕切られた部屋があり、そこに入ると先ほどまで見ていたインスタレーションを窓越しに見ることになる。とたんに、さっきまで体験していた「それ」が「映像」として見えてくる。「現場」が「映像」になり、「体感」が「記憶」になる。「それ」との一体感は失われ、距離感が増す。それは寂しいような悲しいような、しかし一方でほっとするような。

もはやその空間がかつて何だったのか、なんてことは、全く関係なかった。その空間は、ただただ、だだっ広く、ぽかんと街の真ん中に存在していた。

6Fは、志賀理江子個展。2つの部屋、両方とも志賀の作品。「螺旋海岸」の膨大な量に圧倒される部屋に対して、もう一つの部屋は広いところに3点のみ。対照的な展示で、志賀の写真が持つ力を見せつけられる。

屋上は、studio velocity。床がすべて真っ白に塗り尽くされていて眩しい。受付でサングラスを貸してくれる。何が作品だろう、と探す。形があるものが見つからない...。どこだ、どれだ、と考えるうちにふと上を見上げると、網がかかっている。これか! 気がつくと、どんどん見えてくる。風が吹くと少し揺れて、白い面のように見えることもあるそうだ。シンプルな仕掛け(だけど作るのは相当大変だろう)で風景が異化される。

残念だったのは、バシーア・マクールの作品。レンチキュラー写真を使うアイデアも使い方もとても良いと思えたのに、インスタレーションがビシッと決まってないのだ。レンチキュラーシートは厚みがあって重たいのに、両面テープで貼り付けただけのため、浮いてしまったり、剥がれてきてしまうのだ。これがピタッと決まればよかったのになぁ。

シビコを出て、レッド・ペンシル・スタジオの建築的な作品を眺め、春ビルへ。アリエル・シュレジンガーの作品。割れたガラスの入った窓枠を撮影した写真を、その窓枠とガラスでできたフレームで額装。実物とその像が入れ子になって重なり合い、イメージが広がる。ギャラリーでの個展と言う規模で複数点の作品を見られるのはいい。

旧連尺ショールームでは平川祐樹。矢作川の氾濫に備えて各家で船を持っていたという話に基づいての船のインスタレーション。川砂の床で眺める、丸い石が濡れて乾くまでの映像は、丸い石を6個集めて祀っていたという話から。きちんとリサーチして自分の作品に組み入れていく巧みさと丁寧さに感心する。

▼松本町会場:新たな魅力発見

康生会場を見終わった後、喫茶店で休憩。14時を過ぎてしまったのでランチは終わってる、てことで、コーヒー&チーズケーキ。「ピーナツがついてるのは当たり前だと思ってた」。
康生町から少し北寄りに来てしまったので、松本町会場へは歩いて移動。

知らなかった、こんな場所。狭い路地、小さな天井の低い木造家屋。古着物屋さんがあったり、道具屋があったり、奥へ行くとそれらを守るようにこじんまりとしたお寺。何だか落ち着く。

「パーマ屋さん」と呼びたい元美容室に作品を仕込んだのは、青木野枝。窓や換気口と絡み合う鉄のしなやかさはさすが。
丹羽良徳は、マルクスの166歳の誕生日を祝い、ケーキに166本キャンドル立てて、火を灯す。が、それはまるでケーキが燃えてるようだった。
山下拓也は、古い木造家屋の壁の板を、止め合わせてフィギュアを配置。帯留めのように見えるものもあるし、何だかそのこと自体に秘密めいた感じが漂う。

こうして無事全作品を見終わった。
雨が降ると運休になってしまうベロタクシー。「今降ってないよ」とゴネてたら、特別にのせてくれた!運良く雨も降らず康生へ。最高のフィニッシュ!!


Special Thanks to Machiko H.

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